第17回:・乗り合いバスに書かれた言葉
■タンザニア
■私が最初に面白いなと思ったのは、西アフリカのガーナに初めて足を踏み入れたときのことである。
1958年のことで、軽トラックを改造したような乗り合いバスが、首都のアクラから郊外に向け走っており、それらの車に各々標語のような言葉が書いてあったのである。
宗教的な意味合いをもったものが多く、I trust in God などがあった。なかには格言のようなものも多くあり、そこに住民の心情が読み取れて、アフリカの人たちの心を知るひとつの手がかりになると考えるようになった。
このことは、ケニアのナイロビに、スワヒリ語を習得する日本人学校を創設した星野芳樹氏も書いていた。私の覚えているのは「Today Friend」号というのがあり、星野氏のコメントで、「これは今日は友達だが明日は知らないよ」という、都市の生活では明日のことは未知であるという生活の厳しさを表したもので、アフリカ人の生活観がよく出ている、と書かれていた。
それ以後、私もアフリカに行くごとに、乗り合いバスや路線バスの標語に気をつけてみるようになり、最近タンザニアでつぎのような言葉に出会った。
(すべてスワヒリ語)
「Kuteleza si kuanguka (すべることは倒れることではない)」
これはダルエスサラームから北部のルショトに行く路線バスに書かれていたもので、「まだやり直せるよ、取り返しがきくよ」という意味であろう。日本でいう「七転び八起き」の意味に近い言葉である。
これは私が実際に見た言葉であるが、以下の4つは、ムワンザに住むブクワという名前の人に、こんなものもあると教えてもらった言葉である。
「Maisha ni vita (生きることは戦いだ)」
これはそのまま、生きることは大変だという意味。
「Ubinadamu Kazi (人間は苦労から免れない)」
人の人間性は、やった仕事(苦労)に現れる。人間とは苦労するものだ。
「Shoka moja mbuyu chini (ひとつの斧でバオバブをも倒す)」
切れ味が悪いたった一本の斧でも大木を倒すことができる。努力せよという意味。
「Jaribu kuyapata (チャレンジは大事だ)」
くよくよ悩むよりも、それを取ろうと試してみなよ。
神に対する信仰を題材にしたものは、依然として多い。タンガからキリマンジャロ方面に行く路線バスの正面に、行き先の表示部分についていた標語に次のものがあった。
「Amanii ya Buwana (主の平安)」
(吉田昌夫)